ビデオゲームに関する8つの神話

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ジャンル:
Game
シリーズ:
種類:
データ/資料
最終更新:
2005年12月25日 12時58分
シリアル:
2005-12-14-07
ブックマーク:
(2005年12月14日)

アメリカの非営利テレビネットワークのキー局であるPublic Broadband ServiceのWebサイトに、MITの教授である Henry Jenkins 氏によって書かれたReality Bytes: Eight Myths About Video Games Debunkedというタイトルの記事が掲載されています。ビデオゲームに対する一般人の認識と実際のリサーチの差を解説した記事で、KCTS Television制作によるThe Video Game Revolutionという番組のために書かれたエッセイであるらしいです。面白い内容なので翻訳してみます。

  1. ビデオゲームの登場により、若者に暴力行動がひろまった。

    連邦政府の犯罪統計によると、合衆国における青少年の暴力犯罪率は、ここ30年のあいだ低下傾向にある。研究者は、一般に、暴力犯罪により服役している人物が犯罪前にメディアに触れていた割合は、人口全体における平均的な人物よりも低いことを認めている。

    アメリカの学校で銃乱射事件を起こした若い犯人たちがゲームプレイヤーであったことは事実である。だが、若者はたいていゲーマーである。男子の90パーセントと女子の40パーセントがゲームをプレイしている。ゲームをプレイする圧倒的大多数の子供は、反社会的な行動をなんら起こしていない。2001年の米国公衆衛生局の報告によると、銃乱射事件におけるもっとも強力なリスク要因は、精神安定性と家庭生活の良し悪しであって、メディアに触れることではない。

    暴力的なビデオゲームに対する倫理的な恐慌は、二重の意味で有害である。成年者からなる権威層が、すでに社会から切り離されていると感じている多くの子供たちに、より不審と敵意を強める方向へつながるうえに、若者の暴力の実際の原因を取りのぞくために使われるべき労力が浪費され、問題が悪化するにまかせてしまう。

  2. 暴力的なゲームで遊ぶことと若者の攻撃性のあいだに関連を見いだした科学的な証拠がある。

    この種の主張は、比較的小規模な学術研究の学派である「メディア効果」に属する研究者の調査にもとづいている。彼らの調査には、メディアの暴力に関する300以上の論文も含まれている。しかし、これらの論文の大部分は確定的なものではなく、多くは方法論的な観点から批判を浴びている。これらの論文では、実際の文脈から切り離されたメディアのイメージが使用されており、被験者は通常とは大きく異なる、あるいは理解不能なやりかたで対象に従事するように求められる。そして、研究室における環境は、ゲームが通常プレイされる環境とは根本的に異なるものだ。

    大部分の論文が発見したのは相関関係であって、因果関係ではない。つまり、これらの研究が示しているのは、攻撃的な人物は攻撃的な娯楽を好むということでしかない。これが「関連」というあいまいな言葉が使用されている理由である。

    もしこの分野に関するコンセンサスがあるとすれば、それは暴力ゲームが──ほかのもっと直接的で実社会における影響と組み合わさったときに──反社会的行動に寄与するリスク要因のひとつになり得る、ということだろう。だが、ビデオゲームが主要な要因であること、またはビデオゲームをプレイしたことによって、プレイしないでいたら普通の人のままだったはずの人間が殺人者に変化したことを証明した研究はなにもない。

  3. 子供はビデオゲームの主要な消費者である。

    アメリカの子供たちはたしかにビデオゲームをプレイしているが、ゲーマーの最初の世代が大人になってもゲームをプレイしつづけているおかげで、ビデオゲーム市場の中心はより高い年齢層へ移っている。すでに、コンソール市場の62パーセントと、PC市場の66パーセントが18歳以上によって占められている。

    ゲーム業界は大人向けに味付けをした商品を供給している。いっぽう、ゲームは子供のものであると思いこんだ相当数の親たちが、ゲームのレーティングを無視している。11才から16才の子供の四分の一が、好きなゲームとして M(成年向けコンテンツ)とレート付けされたタイトルを挙げている。成人向けコンテンツに関しては、若年層の消費者をターゲットにした広告やマーケティングを制限し、親たちに彼らの前にあるメディアをどのように選ぶかを教えるために、もっと手段を講じるべきなのは明白であろう。

    しかし、親たちは、なにが子供にとって適切であるのかを選択する際に、責任の一端を負う必要がある。この点に関しては悪いニュースばかりではない。連邦取引委員会によると、未成年のためにゲームを購入した人物のうち、83パーセントが親または親子連れだそうである。

  4. コンピュータゲームをプレイする女の子はほとんどいない。

    歴史的に見れば、ビデオゲーム市場は圧倒的に男性を中心としていた。しかし、ゲームをプレイする女性の割合は、ここ10年で着実に上昇している。ウェブベースのゲームをプレイする女性の数は、男性をわずかに上回っている。ゲームはほかのデジタルリテラシーに対する重要な入り口であるという信念にもとづき、90年代の中盤に、女の子受けを狙ったゲームを制作する努力がおこなわれた。最近でも、The Simsが、これまでゲームをプレイしてこなかった多くの男女を惹き付けるクロスオーバーに大きな成功をおさめている。

    ゲーム市場の歴史的な男女不均衡(と、ゲーム業界で働く人口の男女不均衡)を考えれば、ゲームに性差別的なステレオタイプが存在するのはほとんど驚くには当たらない。しかし、ゲームの中で、女性キャラクターがしばしば強く自立した存在として描かれていることは注目に値する。Gerard Johns は著書Killing Monstersのなかで、若い女の子はしばしば、日々直面する課題と対決する自信をつくりあげるための手段として、そういう強い女戦士像を自分の代理として心のうちで利用すると指摘している。

  5. ゲームは兵士が人殺しをする訓練に使われているのだから、それらをプレイする子供にもおなじ影響をあたえるはずだ。

    前軍事心理学者にして道徳改良家である David Grossman は、軍隊は訓練にゲームを(彼の主張によると、兵士の射撃と殺戮の訓練もふくめて)使用しているのだから、そのようなゲームをプレイして育った若い世代は同様に残忍になり、日々の社会関係でも攻撃的な状態にあると主張している。

    Grossmanのモデルは、

    • 訓練と教育の意味を文化的な文脈から切り離すことが可能で、
    • 学習者が意識的な目標を持たず、また教えられることにまったく抵抗力を持たないと仮定し、
    • 学習者が空想世界で学習したことを無意識に実世界にも適用すると仮定した

    場合にのみ有効である。

    軍隊はゲームを特定のカリキュラムの一部として使っているが、この場合は明確な目標があり、生徒は学習を能動的に望み、伝達される情報を必要としている。これらの技術を習得しない兵士は、戦場で代償を払うことになるからだ。

    一説によれば、ますます多くの研究が、ゲームは学習に役立つと示唆しているという。James Gee は、最近の著作Video Games Have to Teach Us About Learning and Literacyのなかで、ゲームプレイヤーは失敗を誤りとは見なさず、上達のための機会として捉える能動的な問題解決者だと評している。プレイヤーはよりあたらしく、より優れた問題解決法を摸索する──と彼は言う。さらに、プレイヤーはつねに推論を立ててはテストするように動機づけられる。この研究が示しているのは、プレイヤーがゲームからいかに学ぶか、なにを学ぶかに関する、Grossman のものとは根本的に異なるモデルである。

  6. ビデオゲームは意味のある表現の形式ではない。

    2002年4月19日、合衆国地方裁判所の判事 Stephen N. Limbaugh は、ビデオゲームは思想を伝達せず、したがって憲法上の保護を受けないという判決を下した。セントルイス州が判事に提出した証拠は、4本のゲームからの抜粋をビデオテープにおさめたもので、ジャンルはすべて狭い範囲に集中しており、以前から論争を呼んでいた作品ばかりだった。

    インディアポリスでの同様の判決に対する逆転判決として、連邦控訴裁判所の判事 Richard Posner は次のように述べている。「暴力はこれまでつねに人類の興味の中心であり、よきにつけ悪しきにつけ、強迫的なまでに繰り返し文化のテーマとなってきたし、いまもその場に留まっている。これが早い年齢から子供たちの注意を引くことは、グリムやアンデルセン、ペローによって収集された古典的なおとぎ話によって誰もがよく知るところである」「18以下の子供を暴力的な文言やイメージから隔離しようという考えはドンキホーテ的であるだけでなく、世界をゆがめるものだ。子供たちは我々が今日よく知る世界に、まったく無防備なまま投げ出されることになる」

    初期のゲームの多くは射撃練習場に毛が生えたようなものであり、動くものはなんでも撃ち落とすことが推奨された。今日のゲームの多くは倫理の練習場としてデザインされている。プレイヤーは自由度の高い広大な世界を旅して、彼ら自身で選択を下し、選択がもたらす結果の証人となる。The Simsのデザイナーである Will Wright は、ゲームは仮想のキャラクターの行動を通じて罪の意識を体験するためのただの媒体だと主張している。映画では、登場人物が社会的境界を乗り越えたら、観ている人はいつでも後ろに引いて、キャラクターやアーティストを非難できる。だが、ゲームのプレイ中には、なにがキャラクターたちに起こるかを我々が選択できるのだ。正しい状況下であれば、仮想世界の中でどのようにふるまうかから、我々は自己の価値を検証できるかもしれない。

  7. ビデオゲームで遊ぶと社会的に孤立する。

    ビデオゲームで遊ぶことはおおかた社会的である。習慣的なゲーマーの60パーセント近くが友達といっしょにゲームをプレイしている。33パーセントが兄弟または姉妹とプレイしており、25パーセントは配偶者または両親とプレイしている。シングルプレイ用のゲームですら、ひとりがプレイ中のもうひとりに助言をあたえるというかたちで、しばしば社会的にプレイされている。

    ますます多くのゲームが──同じ場所での協力プレイ、または離れた場所にいるプレイヤー同士のオンラインプレイといった──マルチプレイ用にデザインされつつある。社会学者の Talmadge Wright は、長時間をかけてオンラインコミュニティを観察し、ビデオゲームに対する反応と相互作用を調査した結果、メタ・ゲーミング(ゲームの内容に関する会話)は、規則と規則を破ることについて考える環境を提供していると結論づけている。

    この考えでは、マルチプレイではふたつのゲームが同時におこなわれていることになる。ひとつは画面に明示される衝突と戦闘であり、もうひとつはプレイヤー間の暗黙の協力と仲間意識である。ふたりのプレイヤーは画面上では死に至る決闘を繰り広げているかもしれないが、画面の外では友人として近づいている。画面に表示された逸脱的な幻想からはとても信じられないだろうが、そこでは社会的な期待がプレイを律する社会的な契約によって再確認されているのだ。

  8. ビデオゲームで遊ぶと感情が抑圧される。

    霊長類の遊戯行動を調べた古典的な研究は、類人猿は遊戯上の戦いと実際の戦闘を基本的に区別していると示唆している。ある状況下では、彼らは組みあったり乱暴に扱いあうことに楽しみを感じているように見える。また別の時には、彼らは互い引き裂きあう命にかかわる戦闘をおこなう。

    ゲームデザイナーにしてプレイ理論家である Eric Zimmerman は、我々が遊びと現実を区別して理解する方法を、「魔法の円に入る」と表現する。たとえば、床を掃除するといったひとつの行動が、遊び(おままごと)と現実(家事)では違った意味を持つことがある。遊びにより、子供は、現実世界の対話では注意深く抑えておく必要のある感情や衝動を表現できるのだ。

    メディア改良家は、ビデオゲームでの遊びは、現実の事件の被害者に対する共感を失わせると主張している。しかし、子供がビデオゲームに対して現実の悲劇の被害者に対するのと同じように反応したとしたら、そちらのほうがよほど感情的に混乱していると言えないだろうか。

    メディア効果の研究では、現実世界における攻撃性の指標としてよくゴム人形を殴る例が使用されるが、ここで語ったことを考えると、この例は問題であろう。殴るためにつくられた玩具を殴る子供は、まだ遊びの「魔法の円」の内側におり、自分の行動を遊びの文脈で理解している。そのような研究が示すのは、暴力的な遊びはより暴力的な遊びにつながる、ということだけであろう。

出典

Entertainment Software Association. "Top Ten Industry Facts." 2003. http://www.theesa.com/pressroom.html

Gee, James. What Video Games Have to Tell Us About Learning and Literacy. New York: Palgrave, 2001.

Grossman, David. "Teaching Kids to Kill." Phi Kappa Phi National Forum 2000. http://www.killology.org/article_teachkid.htm

Heins, Marjorie. Brief Amica Curiae of Thirty Media Scholars, submitted to the United States Court of Appeals, Eight Circuit, Interactive Digital Software Association et al vs. St. Louis County et al. 2002. http://www.fepproject.org/courtbriefs/stlouissummary.html

Jenkins, Henry. "Coming Up Next: Ambushed on 'Donahue'." Salon 2002. http://www.salon.com/tech/feature/2002/08/20/jenkins_on_donahue/

Jenkins, Henry. "Lessons From Littleton: What Congress Doesn't Want to Hear About Youth and Media." Independent Schools 2002. http://www.nais.org/pubs/ismag.cfm?file_id=537&ismag_id=14

Jones, Gerard. Killing Monsters: Why Children Need Fantasy, Super Heroes, and Make-believe Violence. New York: Basic, 2002.

Salen, Katie and Eric Zimmerman. Rules of Play: Game Design Fundamentals. Cambridge: MIT Press, 2003.

Sternheimer, Karen. It's Not the Media: The Truth About Popular Culture's Influence on Children. New York: Westview, 2003.

Wright, Talmadge."Creative Player Actions in FPS Online Video Games: Playing Counter-Strike."Game StudiesDec. 2002.http://www.gamestudies.org/0202/wright/


「ビデオゲームに関する8つの神話」がSlashdot.jpで紹介されました

(2005年12月25日)

ちょろっと前に翻訳した、Henry Jenkins氏のReality Bytes: Eight Myths About Video Games Debunked(→翻訳文)が、Slashdot.jpで紹介されています。

Slashdotの常として、コメント欄でいろいろな意見が表明されているので、ひとつの考えにとらわれずに視野をひろげるという意味で興味深い投稿も見つかるかもしれません。記事本文で紹介されているdeblogの記事からリンクを張られた、少年犯罪は急増しているかという文章もなかなか興味深いです。