- ジャンル:
- Diary, Game, The Elder Scrolls
- シリーズ:
- 種類:
- 読みもの
- 最終更新:
- 2007年01月31日 14時37分
- シリアル:
- 2007-01-20-02
- ブックマーク:
BBSでの指摘をうけて加筆修正しました。
- 世界樹の迷宮/「3DダンジョンPRG」の歴史と復権 (琥珀色の戯言)
に反応。発売されたばかりのアトラスのDS向け作品、世界樹の迷宮への感想記事です。
「3DダンジョンPRG」の歴史を語る際に、僕はここでちょっと考えこんでしまいました。もちろん、その後も「3DダンジョンPRG」というジャンルが完全に消滅することはないのですが、結局のところ、「3DダンジョンPRG」がコンピューターゲーム界で「主役」だったのは、この時期だけだったのかもしれません。
PCゲーム、とくに洋物のゲームを中心にプレイしていると、この発言には違和感があります。「3DダンジョンRPG」を「一人称視点で、フレームで疑似3D風に描かれた迷路を1マスづつ進んでゆく形式のRPG」と捉えるなら、その形式はたしかに歴史の流れとともに衰退してゆくのですけど、それはけっして、
結局のところ、「3DダンジョンPRG」の基幹となるのは「キャラクターの成長システム」であって、それは、『Wizardry』の時点で完成されていたからなのかもしれません。そして、僕が思うに、「3DダンジョンPRG」の楽しさ、「ゲームのシステム的な制約の中で最高の強さのキャラクターを作り上げる」あるいは、「迷宮の完璧な地図を完成させる」という行為って、「プログラミングの楽しさ」ひいては「コンピューターを扱う面白さ」にものすごく似ているのではないでしょうか。だから、初期のマイコンフリークたちは、「3DダンジョンPRG」に適応できる人の割合が高かったのだけれど、コンピューターの普及とともに増加してきた「ゲームだけできればいい」「メールとインターネットだけ」というようなライトユーザー層にとっては、「めんどくさいだけの面白くないゲーム」だと感じた人が多かったはずです。
で語られているような、ライト層のユーザーにそっぽを向かれたという理由ではありません。ライト層がRPG全般をプレイしなくなったという話なら正しいかもしれないし、「3DダンジョンRPG」に限定した場合でも、日本のコンシューマ機の流れとしてならもしかしたら正しいのかもしれないけど、CRPGの総合的な歴史の流れとしては間違っています。
世界的に、PCとコンシューマ機をあわせて見た歴史のうえで、「3DダンジョンRPG」が衰退していったように見えるのは、3DダンジョンRPGが進化して別のものになっていったからです。具体的には、
- 疑似3Dから完全3Dへ
- ターン制からリアルタイム制へ
- シングルプレイからマルチプレイへ
の流れが進行したために、シングルプレイ・疑似3D・ターン制の「3DダンジョンRPG」作品はつくられなくなっていった、と見るべきでしょう。
3DダンジョンRPGの進化の歴史
Dungeon Masterの衝撃
「3DダンジョンRPG」のジャンルが越境をはじめた作品として最初に記憶されるべきなのは、1987年のDungeon Masterでしょうか。このゲームは、4人パーティ制・疑似3D・タイル式マップ・モンスター徘徊式・リアルタイム制のアクションRPGで、
- 入力がコマンド入力式でなく、マウスで画面上のオブジェクトをポイントして、アイテムを拾ったり扉を開閉できたりする
- ダンジョンをうろつくモンスターの姿や目視し、遠距離から攻撃できる
- 遠距離から飛んでくる火の玉や矢を目視して避けられる
- ボタンを押してから一定時間内に扉を走り抜けるなど、パネルやレバー、扉を活用するパズル的な仕組みが、リアルタイム制と組み合わされている
など、当時としては画期的な作品でした。Dungeon Masterは、いわば、「3DダンジョンRPG」の「迷宮をさ迷っている感覚、そのなかで生活しているような感覚」を、一段階高いレベルに引き上げた作品だったと言えます。
Dungeon Masterは最初Amiga STで発売され、STの中で一番売れたゲームタイトルとなりました。販売数から換算すると、じつにAmiga STユーザーの2人に1人がDungeon Masterで遊んだ計算になります。Dungeon Masterのコンセプトを日本流に翻案して制作されたのが、日本ファルコムのブランディッシュ(1991) だと言えるでしょう。
BBSにて、Asuka氏から、モンスター徘徊式・リアルタイム制は、Ultima IとIIのダンジョンで既に導入されているとの指摘をいただきました。Ultima Iは1980年、IIは1982年の作品です。
また、Asuka氏からは、「3DダンジョンRPG」の進化をたどるうえでは、1989年のDrakkhenも無視できないタイトルだというご指摘をいただきました。ご教授感謝します。
ブランディッシュと同じ1991年には、海外で、Might and Magicシリーズの3作目であるIsles of Terraが発売されています。MM3では、疑似3D・ターン制・タイル式マップという従来の要素を受け継ぎながら、グラフィックを大幅に強化し、モンスターをエンカウント式からマップ徘徊式に変更。遠くから敵の姿を目視して、弓矢で遠隔攻撃ができるようになりました。この特徴はその後のMMシリーズに受け継がれ、1998年のMight and Magic VI: the Mandate of Heavenからは、マップが完全3D化され、戦闘も疑似リアルタイム制に変更されています。
ちなみに、T&E SOFTのハイドライドは1984年、ファルコムのザナドゥは1985年、ゼルダの伝説は1986年、イースは1987年の作品。80年代のアクションRPGの数と完成度においては、じつは海外よりも日本のほうが充実していたことになります。
いっぽう、海外においては、1980年代末から1990年代前半にかけてが、これまでターン制が当たり前であった分野に、リアルタイム制が侵食しはじめた時代だったと言えるかもしれません(PopulousとSimCityは1989年、今日のRTSの方向を決定づけたDune II: The Building of a Dynastyは1992年の作品)。これは、技術の成長により、PCが、シミュレーションやストラテジーに必要な複雑な計算をリアルタイムでまかなえるだけのリソースを備えるようになったことが、背景にあると思われます。(この時代は、NECのPC-9800シリーズと、海外のIBM-PC互換機のスペックの差がじょじょに開きはじめた、悲しい時代でもありました)
Ultima Underworldが方向を定めた
次のマイルストーンは、Ultimaシリーズの外伝として発売された、Ultima Underworld: the Stygian Abyss. これは1992年の作品で、1人制・フル3D・ポリゴン式マップ・モンスター徘徊式・リアルタイム制のアクションRPG作品。海外では大ヒットを飛ばし、続編も制作されています。
1992年は、FPSの祖であるWolfenstein3Dが発売された年(FPSを一躍有名にしたDoomは1993年の作品)。現在の、一人称視点・リアルタイムアクション制のRPGの流れは、FPSの流行を受けてはじめて成立したものではなく、このUltima Underworldを原点に持つと言えます。
Ultima Underworldは、WizardryやDungeon Masterの延長線上ではなく、シリーズ伝統の「地上は見下ろし視点、地下は疑似3Dの一人称視点」という形式が、1990年発売のUltima VI: The False Prophetから改められ、ダンジョンが地上と同じ見下ろし型に変更されたところに端緒を持つと考えるべきかもしれません。
Ultima VIで切り離された3Dダンジョンが、1992年のUltima Underworldとして花開いたと考えると、一本筋が通るように思われます。
同年、Origin Systemsは、システム・ストーリーともにシリーズ最高傑作との呼び声の高いUltima VII: The Black Gateを発売(日本未発売)。その後、見下ろし型ビュー・タイル式マップを保ちながらリアルタイム制を導入し、アクション性を高めたUltima VIII: Pagan(1994) を経て、最終作Ultima IX: Ascension(1999) では、世界が完全3D化され、視点は一人称/キャラクターの肩越しの三人称へと移行します。
いっぽう、オリジナルのWizardryシリーズは、最終作であるWizardry 8(2001) で、フル3Dのポリゴン式マップを採用。移動はリアルタイムでおこなわれ、モンスターは徘徊式。戦闘のみがシリーズ伝統のターン制となりました。
シングルプレイ用RPGの衰退
かつて隆盛を誇ったシングルプレイRPGの代名詞的存在、UltimaとWizardryは、1990年代後半から2000年代前半にかけて、インターネットの一般化によるオンラインゲーム、とくにMMORPGの普及により、時代遅れの遺物と見なされるようになってゆきます。
Ultima Online(1997) とEverQuest(1999) の成功、Diablo(1997) とDiablo II(2000) の大ヒット、そしてFPSとRTSの台頭は、パブリッシャーの重役たちに、シングルプレイ専用のRPG作品は死んだと思わせるに十分なものでした。制作するならクールで華やかで動きの激しいFPSかRTS, RPGならオンライン対応、ダサいシングルプレイ用RPGはおっさんと犬に食わせとけ、というわけです。
この衰退はシングルプレイ用RPG全体のものでしたが、「3DダンジョンRPG」型のジャンルが、見下ろし型RPGよりも深い痛手を被ったのはたしかです。しかし、その原因は、
- 「3DダンジョンRPG」のインタフェイスが、キャラクターのステータスやメッセージ用のウィンドウをひとつの画面上に表示する、因習的なものに縛られていた
- デザインが野暮ったいものになる
- 画面の「華」であるマップ画面が相対的に小さくなり、迫力に欠ける
- 「3DダンジョンRPG」の制作者たちは、3Dのような新しい技術の導入に熱心でなかった
- 当時はミドルウェアの採用がまだ一般的でなく、3Dを導入するにあたっては、エンジンを自社開発する必要があった
- ジャンルとして衰退しつつあるRPGの制作者にとって、エンジンの開発は負担が大きかった。結果として、3Dエンジンは品質の悪いものになり、ますますファンが離れるという負のスパイラルが生じた
- また、おそらく、制作者の年齢層も加味して考えるべき
- 流行になりつつあるポリゴン世界/リアルタイム制に移行するには、「3DダンジョンRPG」のスタイルを一部切り落とすか、世界に制限をかける必要があった
- パーティ制のままリアルタイムに移行すると、操作がゲームの進行に追いつかなくなるか、操作量が多くなりすぎるという問題が生じる。結果として、ターン制戦闘に存在した単純明快さ、すべてを把握し、コントロールしているという安心感や全能感が失われてしまう
点に求められるべきでしょう。1998年に発売されたBaulder's Gateのように、見下ろし型の作品は、パーティ制であっても、リアルタイム化が容易でした。また、この作品に採用されたInfinity Engineは、完成度が高く、ほかの作品へ簡単に流用できたため、拡張パックや続編、ベースシステムを流用した他作品が続々と発売され、見下ろし型RPGは一定の面目を保つことができたと言えます。
MMORPGに残っていた3DダンジョンRPGの遺伝子
とはいえ、この時代は、RPGの趨勢がMMORPGに移ったというだけで、「3DダンジョンRPG」そのものの遺伝子は、MMORPGのなかでもこっそりと生きていました。
Ultima Onlineは見下ろし型の作品ですが、EverQuestは一人称視点で、画面のすべてがマップで専有される透過型インタフェイスのほかに、「3DダンジョンRPG」風の伝統的な窓枠型インタフェイスを持っていました。この窓枠型のインタフェイスは、PCやGPUが進化するしたがって徐々に使用されなくなってゆくのですが、1999年発売のEverQuestが開発されていた時点では、窓枠型インタフェイスの導入が、ユーザーの獲得に有益であると考えられていたことがわかります。
シングルプレイRPGの復権
猫も杓子もMMORPGに走っていたパブリッシャーたちは、やがて落ち着きを取り戻し、このジャンルをかつてほどの熱を持っては眺めなくなります。MMORPGであればどんなタイトルであれかならず成功できるわけではなく、新しい需要を喚起できないかぎり先行作品と同じパイを奪い合う破目になること、開発と設備に大量の資金を先行投資する必要があるが、投資とリターンが必ずしも相関するわけではないこと(Lineageは、グラフィックの質では先行作品に劣りながらも、先行作品よりはるかに多くのユーザーを獲得した)、製品購入後のユーザーから月額で料金を徴収できるかわりに、サービスを維持しつづける費用も馬鹿にならないことに気付いた彼らは、いくつものプロジェクトをキャンセルし、これまでと異なるユーザー層を引きつけられる作品、ポピュラリティやブランドイメージのある作品、開発期間が短いわりにより多くのユーザー数を期待できる、よりカジュアルな作品の制作へと視野を転じてゆきます。
また、ユーザーにとっても、最初は目新しいジャンルであったMMORPGは、じょじょに当たり前のものになり、多人数プレイであるがゆえの人間関係の軋轢やハラスメント、長時間プレイしつづける必要があり、社会生活に支障を来たす場合があることなど、MMORPGのマイナスの面も知られるようになります。マルチプレイでは、すべての要素をひとりのプレイヤーの制御下に置くことはできず、それがが思いもよらぬ楽しみや喜びにつながることがあるかわりに、シングルプレイでは決して感じなかった不安やフラストレーションを感じることもあると、彼らは気付きはじめました。
その動きに呼応するようにしてあらわれたのが、Bethesda SoftworksのThe Elder Scrolls III: Morrowind(2002) でした。システムは1人制・フル3D・ポリゴン式マップ・モンスター徘徊式・リアルタイム制のアクションRPGと、「3DダンジョンRPG」の見事な延長線上にあるタイトルです。
シングルプレイ専用・広大で詳細に作りこまれた3D世界・ストーリーラインを離れて泥棒や殺人のような行動すら可能という自由度・プラグインにより世界の拡張やルールの改変が可能で、ユーザーの手でプラグイン (Mod) を作成できる──という特徴を備えたこの作品は、シリーズ従来の要素を洗練させただけではありましたが、シングルプレイ用RPGは死んでいないことを強くアピールするのに十分な存在でした。
その後、BlizzardのMMORPG作品、World of Warcraft(2004) の化物的な大ヒットを経たのち、2006年春にBethesdaから最新作The Elder Scrolls IV: Oblivionが発売されると、この作品は瞬く間に大ヒットを飛ばし、2006年のゲーム賞をつぎつぎと獲得するに至ります。
Oblivionのコンセプト自体は、前作Morrowindとまったく変わりません。グラフィックが進化し、ゲーム世界やインタフェイスがいっそう洗練されているだけです。それどころか、ゲームの原型自体は、1992年のUltima Underworldですでに完成されており、製品自体は単なる繰り返し (iteration) であると言ってもいいくらいです。
それならなぜ、Oblivionはこれほどまでにヒットしたのか? PCの性能が進化し、圧倒的なコンピューティングパワーによって、RPGのクリエイターたちが「こんなことを実現してみたい」と頭のなかで思い描いていた世界に、より近いものが再現できるようになったからです。Oblivionは、はるか過去に幻視され、その時代の技術に応じて製品として取り出されてきたひとつの夢の、2006年版のバージョンに過ぎません。タイル式・ターン制・パーティ制・エンカウント制という形式こそ無くなったものの、かつて「3DダンジョンRPG」に流れていた精神は、Oblivionのなかにめんめんと受け継がれています。
ふたつの作品の差はどこから生まれたのか
しかし、Oblivionと世界樹の迷宮の差をもって、僕が、海外のゲームは革新的だが日本は保守的だなどと論じようとしていると考えてもらっては困ります。だいたいにおいてプラットフォームのパワーからして違うわけですし、世界樹の迷宮をWizardryのただのイテレーションと評するなら、OblivionだってUltima Underworldの単なるイテレーションです。
Nintendo DSの大ヒットにより、携帯ゲーム機は一家に一台の時代から、ひとりに一台の時代になりつつあります。また、従来とは目先の違うDSのゲーム群が、これまでゲームをしてこなかった世代や、一度ゲームから離れていた世代にアピールしていることもよく知られています。世界樹の迷宮のゲーム形式は、コンピューティングパワーが飛び抜けているわけではないDSによくマッチしているし、Wizardryを強く意識した作品で、かつてファミコンでWizardryをプレイしていたユーザー層を拾い上げながら、あたらしいユーザーの獲得を図るという戦略は、クレバーであれこそすれ、責められるようなものではまったくありません。
それでもあえて差が生まれた原因を探るなら、そのひとつは、海外では連続する流れの一部であったものが、スナップショット的に日本に持ち込まれて、そのまま型として定着したことがあるでしょう。これは、初期 Wizardryの日本語版、とくにファミコン版 (1987) の完成度が非常に秀逸で、当時のユーザーに強い印象を残したことと無縁ではないはずです。その意味で、「琥珀色の戯言」のfujipon氏による、「『3DダンジョンPRG』には、今までのところ『Wizardry』を超えるインパクトを持った作品は出ていない」という発言は正しいのでしょう。
対照的に、その後の洋物ゲームの日本語版は、一般的に質が良くないものだった(ローカライズに対する意識とノウハウは日米両方で低かったし、ハードウェア的な限界から、英語版ソフトウェアの質を落として日本語化せざるを得なかった)ために、後発の英語作品は、(とくにコンシューマ機の)ユーザーに強い影響力をおよぼせないまま終わり、コンシューマ機の世界でWizardryの要素を踏襲した作品が繁栄することで、古い要素がそのまま生き残ったのではないでしょうか。
まとめ
ただ、昔から言われていることですけど、日本人の発想が、枠組みを動かすことよりも、枠組みの内側で在りものを改良するほうに向いているし、ありあまるリソースを自由に使うことよりも、限られた資源をいかに活かすかという方向に向いているというのは、すくなくともゲームの世界では真なのかもしれないですね。そういう意味では、枠組みをハードウェアの側であらかじめ大きく動かしておき、ハードウェア的にはライトで、そのかわり比較的安価に開発ができるNintendo DSは、ユーザーだけでなく、じつは日本のデベロッパーにも向いたプラットフォームであるのかもしれない。
上でブランディッシュの例をあげたけど、ザナドゥやロードモナークをはじめとする日本ファルコムの初期作品は、海外作品を日本のユーザーに合うようにアレンジしたもので、しかもアレンジ元の作品よりも快適に動作するよう、日本のハードウェアを舐めるように使いつくしたものでした。ハードウェアに寄り添いすぎた結果として、日本のPCゲームメーカーは軒並みWindowsへの移行に手間取って、PCゲームはエロゲーの独壇場になってしまうので、栄枯盛衰というか、人生万事塞翁が馬という感じではありますが。
グラフィックだけを見ると、Oblivionは最先端のゲームであるように見えるけど、このゲームは、優れた内容であればマルチプレイ機能はかならずしも必要ないことを証明した、流行に反逆する作品でもありました。ストラテジーの流行が圧倒的にRTSにあったとき、盟友たちと袂を分かつことを選択してまでターン制を貫くことにこだわったCivilization IIIは、ターン制戦略ゲームが健在であることをみごとに証明しました。Will Wrightが制作中の作品、Sporeは、ネットを使った通信の仕組みを取り入れながらも、あくまでシングルプレイにこだわり、ユーザーごとに安全で全能感のある宇宙を用意することで、ネットゲームの持つ利点を活かしながら、欠点に対応しようとしています。
成功する作品を産み出すのに必要なのは、かならずしもあたらしい技術や流行を追いかけることじゃない。あくまでも、部分的に、ですが、古い形式をかたくなまでに守りつづけることによって、成功する作品だってあるわけです。(Civ3/4のデザイナーであるSoren Johnsonは、シリーズ作の続編をつくるガイドラインとして、「1/3 は元のまま、1/3は改良し、1/3はあたらしく」をいう「1/3の原則」をあげています) 世界樹の迷宮は復古的な作品として捉えられているようですが、それでも十分成功し得るだろうし、そのなかからまたあたらしい可能性が生まれることもあるんじゃないかな、というのが、僕の感想です。
参考
- 日Wikipediaから:
- 英Wikipediaから:
- MobyGamesのスクリーンショット集:
- GameSpotのスクリーンショット集:
- To Oblivion and Back UGO's Elder Scrolls Retrospective (UGO.com, Oblivion発売時に、The Elder Scrollsシリーズの歴史を振り返った記事)
- The Dungeon Master & Chaos Strikes Back Encyclopaedia
- The Elder Scrolls IV: Oblivionのプレイ日記
- MMOGCHART.COMが更新──World of Warcraftがほかをおおきく引き離す (2006/4/20)
- Oblivion チョー売れる (2006/4/11)
- Soren Johnson GDC会場でCiv4について語る (2004/3/27)


