[パクリ企画]歴史に残す価値がある(かもしれない)6冊の成年コミック

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【こんなのどうでしょう?】それでも町は廻っている 3 (3) (ヤングキングコミックス)
ジャンル:
まんがかんそうぶん
シリーズ:
エロまんがかんそうぶん
種類:
成人向け
最終更新:
2007年03月19日 16時41分
シリアル:
2007-03-19-03

を読んで、自分ならなにを挙げるだろうと考えてみた。12冊はとてもじゃないけど分に過ぎるので、半分の6冊だけ。選んでみたら、傾向が「心に響いた」からあきらかにズレてしまったので、タイトルもそれらしく変更。思いついた順に挙げただけで、順番に深い意味はありません。

『キミの名を呼べば』──甘詰留太

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  • 甘詰 留太(2003-10-03)
  • ¥ 970
  • 通常24時間以内に発送

犯された女性は必ず感じなければならない──これは成年エロ漫画における不文律だ。世のエロ漫画家たちは、このお約束をいかにして魅力あるかたちで実現するかで、日夜頭を悩ませている。

エロ漫画は男性の性欲を処理するための道具であり、エロ漫画世界のルールは、読者である男性に都合の良いようにつくられている。だから、エロ漫画における他者──女性が快楽を感じるに至る過程や、あるいは快楽そのものの描写には、いつだって嘘臭さが付きまとう。

この嘘臭さは、現実と物語のあいだに楔を打ち込み、読者がエロ漫画を安全に楽しむための装置としても機能しているのだけど、それでもできることなら女性の快楽を真に迫らせたい、究極のかたちで表現したいと望むのは、創作家としての常の欲求ではなかろうか。

このテーマに挑み、極めて高いレベルで結実させたのが、甘詰留太キミの名を呼べばだ。

世界は自分が見ている「夢」なのだと思いこむことで現実から逃避している少年と、彼の幼馴染みであり、いまは社会の定めた性欲処理用の「便女」として、彼の学校に支給されている少女。ふたりの再会と別れを描いたこの中編は、夢と嘘と幻想の多層構造というプロットの完成度と、「女性の究極の快感をいかに表現するか」という問題に対して日本の現代エロ漫画が出した回答として、あるいは甘詰留太/A・浪漫・我慢がそれまで成人作品でやってきた仕事の集大成として、ひとつの最高到達点にある作品と言っていい。

成人向け作家としての甘詰留太は、よく「寝取られ作家」と評されるけど、僕はこの表現は間違いだと思う。エロメディアにおける「寝取られ」は、女性の究極の快感を表現するために開発された、ポルノとしての手法なのだけど(これに関しては、できれば別の機会に詳しく書きたい)、甘詰留太作品の「寝取られ」的なシチュエーションにおける主眼は、いつも男性の側にあり、究極まで突き詰めれば、少女はエロのための添え物になってしまうからだ。(このことが一番如実にあらわれているのが、A・浪漫・我慢名義のくわがただと思う)

「寝取られ」的シチュエーションで彼が描いたものの中核は、少年期/青年期における喪失と、喪失に対して無力である自己に対する登場人物の罪悪感、そして罪悪感の上澄みとしての感傷にある。彼の作品における「寝取られ」的シチュエーションは、感傷を演出するための、あくまで手段であり、彼の作品で「寝取られる」少女たちは、他者によって傷つけられ失われてしまう、少年/青年期の無垢な憧憬の、文字通り肉をまとった象徴と言うべきだろう。

同名の単行本キミの名を呼べばには、女の子が男の子に出会って救われ、男の子が女の子に出会って救われる、ボーイ・アンド・ガール・ミーツ・セックス漫画の傑作、ポチとわたしわたしとポチ(物語の対称構造と登場人物の名前から、とよ田みのるラブロマを意識していたように思われる)、少年期の罪と喪失をキミの名を呼べばとは別の形で短編に結晶させたエンジェリック・ハウルなど、ヤングアニマル嵐ヤングアニマルで一般誌に進出する前後の甘詰留太のエッセンスが、濃密なほど詰め込まれている。なんらかのかたちで成人漫画を語りたい人にとって、絶対に避けて通れない一冊だろう。

参考

『DOGMAN SCRAP』──世棄犬

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  • 世棄犬(2005-01-19)
  • マーケットプレイスの価格:¥ 468より (定価:¥ 1,155, 59% off
  • マーケットプレイスに中古商品の出品があります

今はそうでもない、というか、今では毎回コンスタントに原稿をあげる作家さんを尊敬する気持ちのほうがずっと強いのたけど、僕は昔、寡作の作家さんがすごく好きだった。

たぶん10年から15年くらい前になるはずだけど、当時、僕は、寡作作家の持つ一種独特の儚さというか、孤高性というか、とにかくそういうのに惹かれていたのだと思う。それほど自信があるわけじゃないけど、当時は時代の空気として、たまにしか原稿を描かないのがかっこいいとか、エロ漫画雑誌でエロをやらないのがかっこいいとか、そういうのを作家性として容認する気運があった気がする。ただの気のせいというか、僕が若かったから、そういうのを勝手に高く評価していただけかもしれないけど。

そういう意味で、僕にとって世棄犬はまさしく時代の人だ。今読むと、彼の作品には痛々しさを感じるものも多い(とくにギャグと政治ネタ)。画力的には高い素養を持っていたはずなのに、彼が寡作でいたあいだにエロ漫画の流行が変化し、画法や演出の面でも進歩があったせいで、結果的に時代から取り残されてしまった、かつてのファンとしては非常に切ない人でもある。

画力的に高い素養を持っていた、という表現は、決してファンとしての追従でもなければ、レビュアーとしての社交辞令でもない。世棄犬は、博内和代の別名義で、月刊アフタヌーンの四季大賞を受賞しているからだ。受賞作チャックのある風景は、昔からアフタヌーンの読者だった人なら絶対に記憶に残っていると言って差し支えないくらい、絵・ストーリー・構成すべての面で高い完成度を持った作品だった。

彼は一般誌でも変わらず寡作な人で、アフタヌーン誌上で短編外環視点バナナチ○コSea Side Souvenirをぽつぽつと発表し、2002年以降ぷっつりと消息を絶つ。漫画家をやめたのか、休眠しているだけなのか、生きかたが不器用そう(に見える)わりにいろいろな絵を器用に描き分ける人だったから、ひょっとしたら名前と絵柄を変えてうまく生き残っているのか、行方はようとして知れないけれど、この人の在りかたが、漫画家ケーススタディーとして、とてつもなく興味深い存在であることだけは間違いない。

再録本DOGMAN SCRAPに収録された作品は、どれも彼の持つ画力と才能の非凡さを感じさせる。ひなびた田舎町で漫然と暮す画家の男性と、肉体をひさいで生活費を稼ぐ彼の妻の関係を描いた慢性破綻は、なかでも一二を争う傑作だろう。のちのバナナチ○コSea Side Souvenierで使用される、現実世界はリアルに、もうひとつの世界はアニメ・漫画風にデフォルメして描くという手法がはじめて導入された、漫画はぢめて♥物語も非常に興味深い。

同時に、この単行本に収録されているのは、高い素質を持ちながら、能力に見合っただけのヒットを飛ばすこともなく、たくさんの人に知られることもなく消えてしまったひとりの作家の、いささか古い埃の香りのする記録である。だからDOGMAN SCRAPの在りかたはとても貴重であり、そしてたぶん、とてもありふれている。漫画の、創作の世界で幾度となく繰り返されてきた流れの、ひとつの美しい例として、この本を取りあげたい。

  • DOGMAN SCRAP (メガストアコミックス)
  • 世棄犬
  • マーケットプレイスの価格:¥ 468より (定価:¥ 1,155, 59% off
  • 発売日: 2005-01-19 (マーケットプレイスに中古商品の出品があります)

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『夜に虚就く』──掘骨砕三

日本の漫画史のなかで、成人漫画雑誌が担ってきた役割はエロだけではない。よくエログロナンセンスとひとまとめに表現されるように、成人漫画雑誌は、長い間、一般誌に掲載できないような「尖った」表現の作品の、一種の避難所であり、収容所だった。

近年、成年漫画雑誌は、エロ方面の技術をいっそう洗練させているものの、エロ以外の表現の許容度が下がっているのが寂しくもあるのだけど(たとえば同人市場やインターネットが、別の避難所として整備されたことも、理由のひとつに考えるべきかもしれない)、掘骨砕三は、その変化のしわ寄せを、現在進行形で如実に受けている真っ最中の作家と言える。去年あたりから寄稿していた雑誌が次々と潰れてしまったせいで、彼は、とうとう一般誌と成年誌の中間に位置するおっぱい雑誌、ヤングチャンピオン烈にまで押し出されてしまったからだ。

掘骨砕三はたくさんの名義を使い分けていて、名前によって作品の傾向が違う。おおざっぱに分類すると、エロとグロ、そして少年愛。スカトロや獣姦もやる。球種が多く、しかし常識的な範囲という意味のストライクゾーンに収まる持ち球がひとつも存在しない、なんというか驚異の人である。

なかでもいちばん飛び抜けているのがグロの表現で、彼の、常人に真似のできない奇抜な発想力と、些末な部分まで思考の枝葉を伸ばすことで発想を支える思索・設定力、そして現実にはあり得ない事物に説得力をあたえる緻密な筆力によって描き出された世界は、圧倒的に奇怪でいびつで醜悪でありながら、美しいほどに完成されている。

三巻構想の下水街汚物譚の中巻である夜に虚就くは、産業都市の地下に広がる巨大な下水路と、そこで暮らす異形の生物や畸型の人々の生活史だ。仮想博物誌、スウェッジパンクと表現しても良いかもしれない。ぬるく湿った地底に住む彼らは、地上に住む我々とはまったく異なるルールで生きながら、不思議なほど幸せに充足している。世界の異様さと絵の緻密さは、掘骨砕三作品のなかでも群を抜いており、彼の代表作と呼ぶにふさわしい。

しかし、不思議の種が蓋然性の枝葉を伸ばし、幸福に完結する様子を存分に堪能できるのは、はえてる女の子をはじめとする短編集だし、キャラクターの魅力とストーリーテリング能力の確かさを見るうえでは、別の長編ひみつの犬神コココちゃんも外せない。どの本を読んでも、そこにはそれぞれ別の掘骨砕三がいる。この人の真の恐ろしさは、混沌の万華鏡のような、地の奥まで続く井戸のような底知れなさにあるのではなかろうか。

掘骨砕三は才能ある作家であり、彼の作品はどれも高い完成度を誇る。しかし、彼の嗜好が、良識ある人であれば眉をひそめずにはいられない悪趣味であることも確かだ。彼のような人間を世間一般の目の届くところから隔離し、保護育成するのは、成人雑誌の役割のひとつだった。そして、一時的な潮流なのか、未来永劫そうなってしまうのかは分からないが、この流れは現在の成年漫画雑誌から失われつつある。深海魚を無理に海上に引き上げるような無粋な行為かもしれないが、失われつつあるものの記録として、日本の漫画界の懐の深さを示す例として、この人の作品にもっと多くの光を当ててみたい。

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『拘束天使』──久富慎太郎

最初に断わっておくと、久富慎太郎は成功したエロ漫画家ではない。エロ漫画家としては、さっきの世棄犬/博内和代同様、消えてしまった作家に属する。さらに言うと、久富慎太郎は技術的に高いレベルにいた人でもない。主にリトルピアスのようなロリ系アンソロジー本に寄稿していた人で、絵柄はころころ変わるし、本人もさえわたるからペンネームを変えたりしている。

それでもこの作品を取りあげたのは、僕が名前を挙げないと、たぶんこの人は永遠に忘れ去られてしまいそうな気がするのと(完璧に自意識過剰だし、忘れ去られてしまったほうが、もしかしたら本人にとっては幸せかもしれないけど)、拘束天使という本の在りかたが、非常に愛すべきものに思われるからだ。

ファンタジーとしてのエロ漫画には、先ほどの、犯された女性は必ず感じなければならない、というルールのほかにもお約束がある。たとえば、女性と関係した男性は、断罪されずに安全な地点に退避されるか、まったく逆に、手酷く断罪され、激しく嫌悪または忌避されなければならない。対象が若い少女であれば、この傾向はますます強くなる。

拘束天使に登場する少女たちは、男性をあっけらかんと変態的な行為へ先導することで、この問題をあっさりとクリアしてしまう。彼女たちは生まれつきの変態だったわけではなく、彼女たちをその場所に導いた誰かがいたのかもしれない。それはもしかしたら、現在困った顔で手を引かれている大人の男性だったのかもしれない。でも、それに関しては深く追求されない。

この手法は、べつに久富慎太郎の専売特許ではない。しかし、拘束天使ほど、陰鬱さのない明るい変態性とエロのバランスがちょうど良いところで釣り合った作品は、今でもあまりない。

だが、拘束天使の面白さは、このバランスの良さがすべて計算の賜物であるとはとても思えないところにある。このバランスは、一部は無意識に、一部は状況や時代の流れで、一部は偶然の産物として、さまざまな要素がたまたまうまい具合いに重なった結果として誕生している。この本は幸運の産んだ宝物のような本だ。だから僕はこの本がとてもいとおしい。

もうひとつ面白いのは、この一冊のなかで、久富慎太郎の絵が、どんどん上手く、どんどんエロく進歩している点だ。あと一冊分の作品を描くチャンスがあれば、この人はどんな風に成長しただろう。そう考えるととても切ない。

しかし、そこまで含めて、これらはすべてエロ漫画の世界でよくある話である。だから、この席に収まる作家は、たぶん久富慎太郎で無くてもいい。長い間エロ漫画を読み続けてきた人は、ここに収まるべき作家の名前を、きっとそれぞれに持っている。

  • 拘束天使
  • 久富 慎太郎
  • ¥ 950
  • 発売日: 2000-02 (現在在庫切れです)

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『となりの精液さん』──上連雀三平

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  • 上連雀 三平(2006-08-25)
  • ¥ 940
  • 通常24時間以内に発送

漫画家のなかには、ときどきすごく変わった人がいる。いやまあ、漫画家なんて多かれ少なかれエキセントリックな人ばかりなんだけど(……と断言しちゃうのもまた極論か)、たとえばエロ漫画家が一般誌で連載を持つ場合、ポンチ絵活動は同人のみでやることにしたり、以前の活動を隠匿したり(Webサイトを閉鎖したりとかですね)、すくなくとも連載中だけは活動を自粛したりするのが、在りかたとして一般的(というか、良心的? 社会的?)なはずだ。

ある作家さんが一般誌と成年誌の両方に原稿を載せた経緯を持つ場合、成年誌は一般誌のためのステップアップであるか(※若者の作家の場合)、あるいは一般誌で受け入れられなくなったために成年誌に都落ちしてきた(※年配の作家の場合)のがほとんどだろう。前者は最近の新雑誌創刊ブームでとみに数を増やしているし、後者では、黒岩よしひろ真鍋譲治見田竜介が有名だ。

しかし、この世の中には、好きでエロ漫画を描いているとしか思えない、奇特なタイプの作家が存在する。上連雀三平は間違いなくそのひとりだ。この人は、小野敏洋の名義で、天下のコロコロコミックに何度も連載を持っている。しかもその作品のなかには、バーコードファイターや天下のポケットモンスターのコミカライズまで含まれているのだ。

傍観者から見ると、なにを好き好んでエロ漫画を描く必要があるのかと首をかしげたくなる人なのだが、とにかくこの人はエロ漫画を描く。好き好んで描く。それも、いったいこの人は正気だろうかと読者が首をかしげずにはいられない──それどころか、これは本当にエロ漫画だろうかと、読者が自分の目と頭を疑いたくなるような漫画を描く。

物語の終盤でヒロインが実は男の子であったことが明かされるバーコードファイター当時から片鱗はのぞかせていたと言うべきだろうが、この人の作品世界の常識の無さ──というか、常識のねじ曲がった異常識世界ぶりには、戦慄を通り越して呆れるしかない。

エロ漫画の世界に限って言うなら、ふたなりや母子相姦はそれほど珍しい存在ではない。しかし、ふたなりの姉と淫乱な母を持つ少年少女が、学校の屋上で互いの悩みを打ち明けて朗らかに笑いあっていたらどうだろう。肉欲に溺れる姉が、妹を平手打ちして、「謝りなさい!! セックスの神様に謝りなさい!!(中略)おちんちんがおまんこに出はいりするたびにセックスの神様に感謝しなさいって お姉ちゃん教えたでしょ!!」と説教したらどうだろう。普通のエロ漫画であれば主人公の少女と恋仲に落ちるはずの少年が、ふたなりの姉に開発され、クラス中の男子との肛門性愛と精液に溺れたらどうだろう。となりの精液スペルマさんで展開されるのは、まさしくそういう、常軌を逸した物語である。実在の声優をモデルにしたとしか思えないふたなりレズものに至っては、作品内世界の常識より、まず作者自身の常識を疑いたくなる。

上連雀三平は、エロさえやっていればなにを描いても許された時代の成年雑誌の流れを、エロとバカの両面を極端に高めながら反復イテレートしている作家である。凡人では一生かかっても追いつけない発想と言語能力を持ったひとりの変人作家の軌跡として、エロ漫画の過去を繋ぎ将来へと導く存在として、彼の作品群は非常に興味深い。

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『12月のうさぎ』──YUG

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  • YUG(2005-02-18)
  • ¥ 1,260
  • 通常24時間以内に発送

YUGと言えば、最近はすっかり、アニメ化された小説ぺとぺとさんの挿絵絵師として、あるいはリカヴィネ週刊わたしのおにいちゃんのフィギュア原型師にして、電撃大王トランスフォーマー キスぷれの漫画を描いたりもした大嶋優木としょっちゅう間違えられてしまう可哀想な人として有名だけど、この人のデビューは押しも押されぬ日本一の成年漫画雑誌、快楽天である。

画集兼単行本のような本、おひるね ちゅっ!に収録された12月のうさぎは、その快楽天に掲載された作品だ。しかし、この作品には、セックスシーンが一切登場しない。エッチな要素がまったく存在しないとは言えないけど、せいぜいがちょいエロとかほのエロ程度のレベルだ。いまの快楽天は、エロのない作品を描いた作家は全員ワニマガジン社地下の拷問室に集められて、剥き出しにされた奥歯の神経をドリルでぐりぐりえぐられているのではないかと思えるくらいエロスな雑誌だけど、村田蓮爾が表紙を描き、プテラノドンが悠々と空を舞い、まだコンビニ売りの雑誌が青いシールで封印されていなかった時代の快楽天では、まだ、こういうセックスシーンの存在しない漫画の掲載が許されていたのだ。

今だから(積年の恨みと多少の懐しさをこめて)言うけど、当時の快楽天は、まったくもって抜けない雑誌だった。えーと、まあ、それはさておき、12月のうさぎは、人間の男の子と、うさぎの女の子の淡い恋模様をつづったお話。切ない青春のほの甘さが空回りしたあげく穏当な地点に収まる、大山鳴動してうさぎ一匹という感じのストーリーがたまらない一作だ。

YUGは、この12月のうさぎにより、あるいは竹本泉の後継になり得る人ではないかとの評価を、一部の読者から受けるに至る。しかし、彼もまた寡作の人であり、露出の少なさから、次第に名前を忘れられてゆく。ここまでならよくある話だ。

だが、YUGは、いまでも快楽天で毎月コンスタントに原稿を描いている(2ページだけど)。そして、いまの快楽天で必要とされているエロ路線にも、ちゃんと付いていっている。

かつてかなりカオスな雑誌だった快楽天と、甲乙つけがたいほどカオスな雑誌であり、消えた作家世棄犬の活躍の舞台であり、先日休刊したコミックドルフィン。このふたつの雑誌の明暗を分けたものはなんだったのだろう。かつての牧歌的なエロ漫画雑誌を偲び、それらを襲った激動の変遷を知るよすがとして、ひとりの寡作作家が生き延びた記念として、この本を紹介したい。

  • ぺとぺとさん (ファミ通文庫)
  • 木村 航
  • ¥ 672
  • 発売日: 2004-02 (通常3〜5週間以内に発送)
  • 待ちきれない人に:マーケットプレイスに中古商品の出品があります (マーケットプレイスの価格:¥ 1より)

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おわりに

いざやってみると、6本選ぶだけでなかなか難しい。売れた売れない、抜ける抜けないじゃなくて、できるだけ作品としての評価で選んだつもりなんだけど、それでも半分くらいは自分の趣味になってしまった。自分ならこれを外してほかを入れると考えた人は、たぶんたくさんいると思う。

僕が成人漫画を真面目に読みはじめたのは90年代の半ばからなので、選ばれた6作品には、そのことが如実に反映されている。90年代以前の成人漫画作品に関しては、語るのに適任な人が、僕のほかに間違いなくいるはずだ。これ以前の時代に関しては、そちらの方々におまかせしたい。

Nyao's Funtime!!で挙げられていた嘘と嘘のお化けは、プロットの完成度の高さと美しさで、間違いなくゼロの者中期の傑作だと思う。あちらで挙げられていなかったら、絶対に僕が名前を挙げていた。

この人を「歴史に残す」という文脈で語るのが正当であるかどうか、いまいち自信がないんだけど、いまコミックアライブ神ぷろ。を連載している國津武士蟲娘その1/その2)・雨降らせて…がもし単行本化されていたら、エロ漫画家ケーススタディーの面白い例として、名前を挙げてみたくなったかもしれない。

穴や欠点がたくさんある作家がときおり見せる愛すべき輝きという意味では、単行本天然素材少女に収録された小林王桂ぼっちゃま とんかつですも、個人的に捨てがたい。ただ、この人はまだばりばり成長中の現役なので、歴史に入れちゃうのはなんかちょっとマズい気がして、それで外しておきました。

その他の参考